私がまだ高校生だったころの話です。両親は占いが好きだったのでしょうか、私が生まれて名前をつけるとき、姓名判断の占い師にみてもらった話を聞きました。

字画上では、災難など無縁、幸運恵まれた名前をつけてもらったはずですが、全く逆。幼いころとても病弱で、学校に行くようになり、何かとトラブルに遭遇してしまいました。

交通事故で右足にひびが入るという災難もありました。そんなこともあり、物思いが深くなる思春期以降、自分の名前にとても違和感を感じるようになりました。なんでこんなヘンテコな名前をつけられたのか。

事故にあったり、学校で嫌な出来事ばかり続くのはもしかしたら、自分の名前に原因があるのかも。そう、思い込むようになり、両親にあたりちらしてしまうこともありました。

両親も私の苦境がようやく飲み込むことができたのか、何かしなくてはと考えるようになりました。しかし、両親が思いついたのは、また姓名判断の占い師のところに行くことでした。

今度は、テレビのワイドショーに何度も出演し、神がかりのようにあたるという占い師のところです。知り合いのつてがあったのか行くことになったのです。

ところが午前6時にきて欲しいということ。占い師が住むところには、特急列車に揺られて3時間。ホテルに一泊することになりました。

さあ、翌日早朝午前6時、占い師の家に行きました。なんと、相談客でいっぱいだったのです。一通り私の名前の字画による姓名判断と手相を見てもらいました。

名前がいやなんてぜいたくいうな、手相は長命で金運もとてもいい。その間わずか15分程度。相談料2万円でした。それから、3年くらいしてからでしょう。

神がかりの占い師は詐欺で警察に捕まりました。そのことが現在の私の信条を形成するのに、大きな出来事だったと今にして思えば、感じます。

良いことは信じるようにしています

占いは比較的小さい頃から信じている方です。
いろいろな雑誌を購入したり、美容院で見たりするときには、必ず占いのページを見るようにしていますし、テ‐レビなどで、〇月生まれの人、とか、〇〇星座の人、とかの今日の運勢などは欠かさずみています。特に、そのようなところで、ラッキーアイテムなどの紹介があり、それが自分の手近にあるものであれば、それを持ってでかけるようにしますし、ラッキーカラーの紹介があれば、可能であれば、その色の洋服を着るようにしています。
 しかしながら、その日、そのアイテムを持っていない、そのカラーを身に付けていないから、といって何か不幸になるとか、そこまでは考えていません。ただ、良いことがあったときに、あー、そういえば、今日は〇〇色がラッキーカラーだって言ってたから、そのご利益かもね、と思うようにしています。逆に、あまりよくないことしかなかった、というときもありますが、そういったときには、そのアイテムを持っていたから、この程度で済んだんだ、という考え方をするようにしています。
そうやって、基本的には占いは良い部分を信じるようにします。
悪い部分、たとえば、〇月生まれは今日はバットディといったものを見たとすると、できれば、それを忘れるようにしています。もちろん、それを解消するためのアイテムが〇〇だから、とあれば、それを身に付けるようにして、悪いことがおこらないように、と考えます。
日常生活のなかに占いは、私の場合、かかせないものではありますが、それに縛られるわけではなく、運気を上げるために、うまく活用するもの、そう考えています。